ア・コルーニャのパノラマビュー

ア・コルーニャとピカソ:若き日の天才に出会う

A Coruña

20世紀を代表する偉大な芸術家パブロ・ルイス・ピカソが人生の重要な時期をガリシアのこの町で過ごしたことは、誰もが知っているわけではありません。その町とはア・コルーニャ。彼は9歳から13歳までこの町で暮らしただけでなく、同じくこの町で絵を描き始めたのでした。スペイン北部にあるこの美しい都市を訪れるのに、季節は関係ありません。さらにピカソの人物像にも興味があるという方は、芸術家ピカソの人生の一時期に大いに関連がある場所を、現地で直接訪問するとよいでしょう。その際はまず、彼の実家を見学してみましょう。ピカソという天才がどのように形成されたのかを解明してみませんか?

ア・コルーニャ時代のピカソはどのような少年だったのでしょうか?

1891年、9歳のパブロ・ルイス・ピカソは家族とともにア・コルーニャに移り住みます。父親はこの町で美術学校の教師として働きました。そしてまさにこの美術学校において、ピカソは素描家として並外れた技術を磨くことになるのです。彼が画家としてのキャリアをスタートさせ、最初の展覧会を開催したのもここア・コルーニャでした。プライベートでは、この土地で初めて恋愛を経験したほか、妹の死に苦しみます。そしてこの出来事は、彼の人生に大きな影響を与えることになります。

ア・コルーニャでピカソが通っていたエウセビオ・ダ・グアルダ小学校

ピカソの私生活にゆかりのある市内各所

この町を訪問したついでに、この芸術家の足跡をたどってみましょう。ア・コルーニャにいたころのピカソと知り合いになるには、まず立ち寄るべき場所があります。その場所とはピカソの家博物館。この建物の3階にはピカソが家族と暮らしていた住居があります。家に足を踏み入れた途端、19世紀末のア・コルーニャの典型的な家屋の雰囲気に包まれたように感じます。室内には、当時使われていた家具や物品、ア・コルーニャ時代にピカソが制作した作品の複製、この芸術家が自ら手がけた彫刻などが保存されています。そのまま歩いていくとポンテベドラ広場に行き着きます。そこに建つエウセビオ・デ・グアルダ中学校・高校にピカソは10歳で入学し、付属の美術学校にも通いました。美術工芸学校には、この画家の優秀な成績表が保存されています。

ア・コルーニャにあるピカソの家博物館
ア・コルーニャのピカソの家にある絵筆

ほかにも興味深いスポットをお探しですか?レアル通り20番がおすすめです。当時はここに家具店があり、ピカソは1895年、そこで最初の展覧会を開催しますが、その時点で彼はすでに新聞などで高い評価を受けていました。後に、彼は再びこの通りで2度目となる展覧会を開催し、『帽子をかぶった男』を発表します。この作品は現在、パリのピカソ美術館に収蔵されています。ピカソにゆかりのある別のスポットとしてはロサリーア・デ・カストロ劇場が挙げられます。ここでピカソは劇場公演に参加し、舞台上に『宝くじの10分の1券』『淑女に挨拶する紳士』といった風俗画を描きました。そしてもちろん、サント・アマーロ墓地もおすすめです。スペイン有数の美しさを誇る歴史的な墓地であるとともに、「ヨーロッパの墓地のルート」の一角を占める存在でもあります。ここにピカソの妹が埋葬されています。

ロサリーア・デ・カストロ劇場を背景にしたア・コルーニャ港

ピカソの目が描かれたア・コルーニャの市章2つ

ア・コルーニャで訪れることのできるさまざまな場所の中には、かつてこの画家をも虜にした特に美しいスポットがあります。 ひとつは、かの有名なリアソール・ビーチで、ピカソはここで子ども同士の遊びを楽しんだものです。ひとたび海を前にしたら、大西洋の色を捉えたり船乗りの仕事を表現したりするためにこの芸術家が絵を描きに出かける姿を想像してみるとよいでしょう。素敵なエクスペリエンスが味わえるはずです。

ア・コルーニャにあるリアソール・ビーチ

もうひとつのスポットはヘラクレスの塔です。この塔が町一番の名所であることに疑いの余地はありません。世界最古の灯台であるうえ、現在も稼働中の唯一の灯台であることから、ユネスコの世界遺産に登録されています。ここから望む景色は独特なもので、ピカソもお気に入りだったようです。実際、彼は多くの素描や油絵のなかで、ヘラクレスの塔——または父親が呼んだところの「キャンディーの塔」——を登場させています。「それは私の感覚が目覚めた町であり、時間も距離もその事実を消し去ることはできません」と、ア・コルーニャを離れて何年も経った後に芸術家ピカソは語っています。 あなたもア・コルーニャの町を発見してみませんか?

ヘラクレスの塔、ア・コルーニャ
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