アルス・クアトラ・ガッツ、バルセロナ
ピカソがデッサンを最初に展示する場所として選んだこのカフェの特徴的な点は?19世紀末にこの場所ではショーやコンサートを受け入れ、ピカソに加えサンティアゴ・ルシニョールやラモン・カサスといった芸術家の集会場となりました。これら全てがボヘミアンでモダニストなバルセロナの象徴となり、パリのキャバレー、ル・シャ・ノワールがその発想の源となりました。最近ではウッディ・アレンが『それでも恋するバルセロナ』の舞台として選んでいます。今日では、当時のカフェを引き継いだ店によって、バルセロナのモンシオ通り3番の美しいカサ・マルティ1階にて営業が再開されています。ここでは、ピカソがデザインした有名な看板が、訪問者を迎え入れています。
マドリードのカフェ・ヒホン
1888年5月15日、アストゥリアス出身のグメルシンド・ゴメスがマドリードにグラン・カフェ・ヒホンを開業しました。馬車で到着したお客さんにコーヒーを出す場所と、駐車場の2つの部分がありました。必然的にこの場所は、文化サロン、そして、ペレス・ガルドス、バジェ・インクラン、ヘラルド・ディエゴ、ガルシア・ロルカ、ダリ、ブニュエル、ソローリャ、トレンテ・バリェステル、セラなど、時の有名人の出会いの場所になりました。有名なスパイであったマタ・ハリも、この場所にいたほどです。レコレートス通りの21番地にあるこのカフェは、アーチストらが描いた絵や、このカフェを取り上げた10冊以上の本とともに皆さんをお待ちしています。