アルカラ・デ・エナーレスのセルバンテス広場

アルカラ・デ・エナーレスの文化ルート2つ。セルバンテスのルートとシスネロスのルート

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街の最も文化的な側面を発見


アルカラ・デ・エナーレスは文学や大学の揺籃の地で、その歴史地区はユネスコの世界遺産に登録されています。それを堪能できるマドリードからすぐ近のこの地には、文化遺産も数多く保存されています。作家のミゲル・デ・セルバンテスや枢機卿フランシスコ・ヒメネス・デ・シスネロスは、この街で最も有名な人物2名であり、文化遺産や歴史に足跡を残しています。セルバンテスのルートとシスネロスのルートで、アルカラ・デ・エナーレスで最も文化的な側面を学びましょう。

セルバンテスのルート

全てがそこで始まった地、アルカラ・デ・エナーレスは、スペイン最高峰の作家の一人ミゲル・デ・セルバンテスが生まれた街です。素晴らしいセルバンテスの土地であるこのルートでは、この有名な文人の足跡をたどり、彼の人生で最も有名な場所、そして作品の刊行に直接ゆかりのある場所を訪問することになります。セルバンテスが生まれ着想を得た街にようこそ!セルバンテスのルートはオイドール礼拝堂の名前で知られる旧サンタ・マリア教区から始まります。ここは現在ではセルバンテスの世界ビジターセンターとなっており、1547年にドン・キホーテの作者が洗礼を受けた場所です。次のポイントはマドレ・デ・ディオス神学校です。大学地区にあり、当時最重要な学校の一つでした。彼はここでドン・キホーテの第1部の誤植を見直して承認したのです。そして彼の名前を冠した広場まで歩くと、隣人や訪問者を誇り高く眺めるセルバンテスの荘厳な像により、彼に対するこの街のオマージュを見て取れます。 

ミゲル・デ・セルバンテス像の詳細

すぐ近くにあり、この街で最も美しく人通りの多い通りの一つであるマヨール通りには、このセルバンテスのルートで何よりも大切なポイントが3つあります。今日では展示つき博物館になっているセルバンテスの生家、この作家の生涯と関係が非常に深いラ・カルソネラの家、そしてセルバンテスの父の職場だったアンテサナ病院です。この機会を利用して、アルカラ・デ・エナーレスで間違いなく最も有名な一角の一つであるドン・キホーテとサンチョ・パンサの彫刻で写真を撮影しましょう。かつては無原罪の御宿り裸足のカルメル会修道院だった像の修道院にはセルバンテスの姉が在籍しましたが、ここは美しいルネッサンス様式の扉がある建物です。このルートを終えるべく、セルバンテスのメセナの一人であった枢機卿ベルナルド・デ・サンドバル・イ・ロハスが建造を命じた美しいバロック様式の建物サン・ベルナルド修道院に向かいましょう。

セルバンテスの生家前にあるドン・キホーテとサンチョ・パンサの彫刻

シスネロスのルート

枢機卿、聖職者、ヒューマニスト、軍人、著名な文人… シスネロスはさまざまな形で知られていますが、何よりも確かなこととしては、この街で最も際立った人物の一人だったということです。私たちが現在知る形にアルカラ・デ・エナーレスを作り替えた偉大な建築家の一人です。彼の大学都市プロジェクトのおかげで今日ユネスコは、世界遺産として歴史地区や大学を認定しているのです。その遺産を知りたいですか?生涯にわたって推進した数多くの改革により、「アルカラで最高の市長」だったと言われています。このため、シスネロスのルートでは、彼の生涯で最も興味深いポイントを訪問することになります。最初の欠かせないスポットは、枢機卿の住居であった大司教宮殿であり、その正面では過去どれだけ壮麗なものであったか想像することができます。続いて、現在では展示室となっている、シスネロスが建設した最も重要なものの一つである面接の家を訪れます。枢機卿の人生と関連がある別のポイントは、アルカラ・デ・エナーレスの中でも数少ないゴシック様式の建物であるマヒストラル大聖堂です。彼自身が改築を命じ、その中にこの街の偉人が眠っています。 

 アルカラ・デ・エナーレスのマヒストラル大聖堂にあるシスネロス像

この街の近代化においてシスネロスが果たした役割を知るには、マヨール通りを散策するのが一番です。最も重要な都市改革のいくつかは、大聖堂とアルハマでした。大学都市の訪問を終えるには、セルバンテス広場やサン・ディエゴ広場の両広場の散策も欠かせません。シスネロスのルートを終えるには、この街の現在では大学地区に位置しているサン・イルデフォンソ・カレッジの訪問もお勧めです。シスネロスはこの大学を1499年に創設し、その後スペイン文化の普及において最も重要なセンターの一つになりました。アルカラ・デ・エナーレスは最初の大学措置として、欧州やアメリカ大陸における教育モデルとなったのです。

サン・イルデフォンソ・カレッジ、アルカラ・デ・エナーレス大学